“まだ大丈夫”なうちから学ぶ介護

私の仕事は医療関係では無いです。家族もありがたいことに健康です。
ですが勤務先の諸事情で、認知症・介護 などについて数年間にわたり関わることになり、その間、このことを通じて人生・家族について考えさせられています。ご存知のように高齢化社会を迎え、誰にでも介護の問題は起こりうることなのに、あまりにも準備ができていない、そのためにヒビが入る人間関係をみるのは辛い経験です。この経験を通じて、いずれするかもしれない介護、されるかもしれない介護、について考えて行きます。

2016/4/9

内容的に個人情報になることは書く事は出来ないので、事象だけを書きます。

一つは、自分の8年ほどの体験をまとめ、知人の看護師さんやケアマネージャーさんと
会話をした時感じた、医療のプロ達が考えることと私のような一般人が考えることの
“溝”を探って行こうと思います。

もう一つは、主観にはなりますが、私が見てきたことから学んだこと、
自分と自分の家族や友達の幸せのために役に立つとおもうこを書きます。

2016.4.

【家族間の関係】

家族間の絆が、知らず知らずのうちに薄れていることが多いことに気づきました。

病院に定期的に付き添っていると、医師や看護師から「ご家族の方ですか」と
聞かれる場面が出てきます。私は会社の制服で通っていたためか、
「会社で雇われている介護士か看護師かと思いました。」と看護師から言われた事があります。

「介護士でも看護師でもない」と伝え、家族に同行を頼んでいるが引き受けてもらえないことと、
自分医療知識もなく高齢の患者に何かあっても責任もてないので困っていると話したところ、
責任もてないなら、早く家族と会社に「責任もてない」と明確に伝えないと、なし崩しに
あれもこれも、することになりますよ、病院では着替えやトイレの介助も当たり前のこと、
そこまでできるなら今後も付き添いを続けたら良いが、当時すでに90代目前の年齢で
よくなることはなくても、更に色な症状が容易に予測できる年齢だったためか、
そういうことも見越してできるのかできないのか考えなさい、とアドバイスされました。
できる範囲ならやってあげたいけど、、、。と言いかけると、自分のいい人の気持ちで
そう言ったことも、面倒見るつもりのない家族にとっては、「じゃ、やってくれるのだな」と
解釈することにつながる、いい人ぶらずに本当にできるのかできないのかハッキリさせないと
自分の首を絞めますよ、ときつく言われました。それくらいの覚悟がないと、どうなっていくか
わからない介護はできない、ということを痛感させられました。

病院側も付き添いで何年にも渡って来ていて顔はわかっていても、貴方が何者かわからないし、
患者のことも説明しようにもしようがない。と言われました。
病院にとってはどんなに希薄なむすびつきであっても、肉親が責任を明確にする上で重要です。